バッチ博士の「The Twelve Healers and Other Remedies (12 の癒やし手とその他のレメディ)」の文章を読んでいると、博士の伝えたかった想いやエネルギーが時を超えて伝わってくるように感じます。
こうして今なお、バッチ博士の書いた文章に触れられることが、とても嬉しいなと思います。
“本出版の複写ならびに転載は、内容の文言を変更しないことを条件に、非営利目的にのみ許可します”とありましたので、日本語訳は「一般社団法人 バッチホリスティック研究会」の林サオダさんの翻訳を記載させていただいています。
こうして公開していただけることも、本当にありがたいです。
参照元: https://www.bachcentre.com/wp-content/uploads/2019/10/Japanese_Twelve_Healers_1941.pdf
また、私自身が大切だなと感じて、心に触れた文章にラインをひいています。
はじめに
この療法はこれまで記憶に残るかぎり(註 9)9、人類に授けられた中で、最も完全なものです。病気を治す力を持ち、シンプルなので、家庭で使うことができます。
この療法は、シンプルで、かつ治療効果が高い、大変素晴らしいものです。
これからご紹介する方法の他に、科学や知識は一切必要としません。自然に存在するものはすべてシンプルなのですから、科学や理論という呪縛から自由になり、これを純粋なまま受け入れることのできる人が、この「神からの贈り物」の恩恵を享受することができます。
神が啓示してくださったこの癒しのシステムは、私たちの恐れや不安や心配事などが、病気を招く原因になっていることを教えてくれます。ですから、恐れや不安や心配事などに対処することで、病気にならないだけでなく、さらに、神の御心で私たちに与えられたハーブが、私たちの恐れや心配ごとを取り除き、私たちをより幸せに、そしてよりすばらしい存在にしてくれます。
ハーブが私たちの恐れや不安や欠点や弱点を癒してくれますので、この恐れや心配などを見つけさえすれば、どんな病気も私たちから去っていくでしょう。
もうあまり多くを申し上げるつもりはありません。なぜなら、理解力があればこの全てが分かるでしょうし、もしかしたら、理解力があって、科学に毒されずに、神からの贈り物であるこれらのハーブを用いることができる方々がもう十分たくさんおられて、周りの人々にとっての救済と恩恵になるかもしれません。
このように、すべての病気の裏には、私たちの恐れ、心配、欲、好き嫌いの感情が潜んでいます。これらを探し、癒すようにしましょう。これらの感情が癒されることによって、私たちを苦しめている病気が去っていくことでしょう。
有史以前から、病気を防ぎ、治すために、神の力に満ちたハーブや植物や木々という形で、「神の意志」が自然界に働いていることが知られていました。10この本に書かれてる自然から与えられたレメディは、神の慈悲を受けているための他のものよりすばらしく、そして、病気や苦しみのすべてを治す力を洗えられているという事が証明されています。
これらのレメディを使って治療にあたる場合、病気の性質に注意を払うのではなく、その個人を治療していきます。その人が次第に健康になっていけば、病気が離れていきます。
私たちは皆、同じ病気でも人によって違った結果が出ることを知っています。そしてその結果や症状が本当の病気の原因を探る手がかりになりますから、その症状に手当をすることが必要です。
心は、体の中で最もデリケートで感じやすい部分ですので、身体よりずっと明確に病気の兆候とその進行をよく物語ります。ですから、心がどのように作用しているかを知ることでどのレメデイが必要となるか分かります。
病気の時は普段の生活とはムードが変わりますのえ、気をつけて観察すると、病気の現れる前、時にはずっと前から、この変化に気づき、それに対処することによって病気を防ぐことができます。病気になって久しい場合でもやはり、患者さんのムードが正しいレメデイを選ぶ指針になります。
病気に注意を払うよりも、患者さんの人生観や何に苦しんでいるのかだけを考えてください。
この本には 38 の異なった精神状態が簡潔に説明されています。そして、今ある症状が単一のものでも、あるいは、いくつか合わさったものでも、それを版権氏、症状を効果的にやわらげるのに必要なレメデイを選ぶことは、自分にとっても他の人にとってもそれほど難しいことではないはずです。
「トゥエルブ・ヒーラーズ (12の癒し手)」というタイトルは、特にこの本のためにとっておいた、沢山の読者の方にとってなじみの深いものです。11
12 のレメデイだけでも、確実に苦しみは軽減されます。ですから、後に他の26 のレメデイが発見され追加されて完全なシリーズになる以前の段階で、これら12 のレメデイを初回することが必要でした。最初の 12 のレメデイには星印 (*) がついています。
註釈
9 最初の 7 つの段落は、1936 年版が出版されてから、バッチによって後述されたもの。さらなる情報は「編集者の序文」を参照。
10 この文章により、1936 年版に出てきた、より短い序文が始まった次期がわかる。
11 これと次の段落は、校正の段階で 1936 年のタイプスクリプトに追加されたもの。

数年前、自分自身もとても苦しかった時に、ある人と出逢いました。
その人は人生にとても苦しんでいて、私はなんとかして、その人を助けたい、サポートしたいと強く思っていました。
でも、私は結局何もできなかった。
自分自身も当時、相当苦しかったので、その人が喜んでくれる、私を必要としてくれることを必死に探して、自分を保とうとしていたのだと思います。そして、それがいわゆる共依存なのだとも気が付いていました。
そんな時に、友人が手を差し伸べてくれたことがありました。普段、私は全く人に頼ることができなくて、でも、本当にギリギリのところで、その友人の優しさ、物理的なサポートに助けられました。
その時のお礼を精一杯「助けてくれて、ありがとう」と伝えると、友人からは「人は本当には誰かを助けられないんだよ」と言われて、少し寂しいような不思議な気持ちになったことを覚えています。
その言葉を今でも時々思い出します。確かに、周りがどんなに手を差し伸べて助けてくれたとしても、本人が自分で立ち上がろう、という何かほんの小さな小さな光や希望のひとかけらのようなものを自分の内に見いだせない限り、周りは直接的には「助ける」ことはできないのかもしれない。それに「助ける」という言葉自体、助ける人と助けられる人、という垣根を作ってしまっているような感じがして、簡単に口にできる言葉ではないような気もしています。
誰かとても大切な人を助けたい、サポートしたいと思うとき。私はいつも彼女の言葉を思い出します。
私が自分以外の人にできることは確かにないと思う。自分を助けられるのは自分。
例えどんな状況にあっても、人には本来ものすごい力が誰にでも備わっていて、どんな人も自分の力で立ち上がっていけるいけるのだと、その人を信じるしかない。
「何かをしてあげたい、助けたい」は私のエゴ、そんな自分がおこがましい気がして嫌だったし、モヤモヤしていた。
足りない自分を埋めたいだけなのかも、人に役に立つことをしていないと価値がないと自分の弱い面が見えるように思う時もある。それは本当に自分の深いところからの声なのだろうか?といつも自分に問う。
でも、私もこうして生きていて、家族や友人、その時々で出会った人たちからの愛や力に支えられて、”今ここ” を生きているのも事実。
直接的には何かできることがないとしても、きっとこうして私が私自身をしっかりと生きているだけでも、できることはあるのかもしれないと本当に少しずつだけれど、思えるようになってきた。
そっと見守ったり、必要なときに側にただいられたり、植物の力を借りたり、、、。
そんなふうにいきていけたらいいな、といつしか素直に心の深いところで感じるようになった。
昔の私がひょっこり出ていて、「こんなことをしていて意味があるのかな?」「私なんかよりすごい人たちは沢山いる」…と聞こえてくる時ももちろんある。
でも、どうして私がバッチ博士の花療法に惹かれたのか、バッチ博士の言葉からこんなにも力をもらえるのか、、、
今はまだほんのスタートに過ぎないけれど、自分の声を信じて、自分の深い想いを大切にしていきたいと思う。

